カトリック広島司教区列聖委員会

乙女峠マリア聖堂 聖母と三尺牢の安太郎 乙女峠マリア聖堂 乙女峠マリア聖堂 内部 カトリック津和野教会 津和野町

光の道へ 作詞・作曲 Sr.前田智晶
光の道へ(伴奏) 作曲 Sr.前田智晶
2023年5月3日
乙女峠まつり
司式 前田万葉 枢機卿(大阪教区長)
「光りの道へ」
津和野の証し人・列聖運動公式テーマ曲
作詞・作曲 シスター前田智晶
2022年5月3日11時配信予定
乙女峠でのミサ
司式 髙見三明名誉大司教(長崎教区)
2021年5月3日 乙女峠でのミサ
司式 中野裕明司教(鹿児島教区)
「新司祭の乙女峠」津和野への旅
2021年5月4日~5日
2020年5月3日 乙女峠でのミサ 説教
2019年5月3日~5日 廿日市市から津和野町までの徒歩巡礼

お知らせ

 



はじめに

 1868年(慶応4年・明治元年)から1869年(明治2年)にかけ、長崎浦上村のキリシタン(キリスト教の信徒)3,000人余りが、明治新政府の宗教方針により名古屋以西の20藩22ヵ所(富山・金沢・大聖寺・名古屋・津・大和郡山・和歌山・姫路・岡山・福山・広島・鳥取・松江・津和野・山口・高松・徳島・高知・松山・鹿児島、※津藩は大和古市・伊賀上野・伊勢二本木の3か所分散)に流配されました。「浦上四番崩れ」に端を発したこの“浦上キリシタンの流配”と言われる事件は、欧米でも知られ、後に日本の外交や宗教政策などにも影響を与えることになります。
 広島教区内では、岡山・福山・広島・鳥取・松江・津和野・萩の各地に流配されました。中でも津和野藩は、新政府の宗教行政の中心にいた藩主亀井玆監により、当初の説諭からついには拷問による改宗に方針を変更しました。そのため、わずか1歳の乳呑み児から71歳の高齢者まで37人(その多くは同一家族)が信仰のために命を落とすことになります。彼らは、二百数十年にわたる迫害の中、宣教師や司祭を失いながらもキリスト教の信仰を守り続け、家庭での信仰の継承がいかに大切であるかをその死を通して証ししました。さらに、暴力に対し非暴力をもって応え、人間の尊厳の偉大さを示したと言えましょう。
 
 

「津和野の証し人」の列福調査開始の許可

 2019年2月5日、日本26聖人殉教者の祝日に、広島教区のために嬉しお知らせが届きました。
 2018年7月8日、教皇庁列聖省に赴いて「津和野の証し人の列福(列聖)調査開始の許可申請」を直接、提出していました。その後、列聖省は幾つかの関係省庁に意見を求めていましたが、ようやく関係省庁から「問題なし」(Nihil Obstat)という返事が揃い、2019年2月5日、「津和野の証し人の列福調査開始を許可する」という知らせがありました。
 この知らせを皆さんと共に神様に感謝し、「津和野の証し人」の一日も早い列福(列聖)を願いつつ、信教の自由と世界の平和のための祈りと活動を続けていきたいと思います。

広島教区 司教 アレキシオ 白浜 満
列聖庁からの列聖調査開始許可の手紙

 

 ローマ、2月5日、2019年

(通し番号)3399-1/18 

親愛なる司教様 
 2018年7月26日の手紙をもって、司教様はこの列聖省に、1868年から1873年の間、信仰のゆえに命を奪われたアントニオ・マリア深堀和三郎と、その36人の同志の男女信徒たちの列福手続きにあたり、聖座にとって何か妨げがあるかどうか、お尋ねになりました。
 すべてよく調べたうえで、司教様に次のようにお答えします。上記のアントニオ・マリア深堀和三郎と、その36人の同志の男女信徒たちの列福、すなわち神のしもべたちの殉教の宣言の手続に進むことに対して、聖座にとって何の妨げもありません。同省が1983年2月7日に公布した「司教が列聖調査するにあたって守るべき規定」に従って、調査を進めることができます。
主において
司教様にご挨拶いたします。
列聖省
(自筆署名)
Angelus Card.Becciu
長官
Marcellus Bartolucci
Mevaniaの名義大司教
秘書より
親愛なる
アレキシオ 白浜 満 
広島教区 司教様へ
730-0016 日本
広島市中区 幟町4-42